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大阪高等裁判所 昭和53年(ネ)132号 判決 1980年4月24日

控訴人

田中一二三

右訴訟代理人

松井清志

被控訴人

西側安春

右訴訟代理人

浜口卯一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人が大安建設興業振出の原判決別紙目録記載の約束手形二通の所持人で、右各手形を満期及びこれに次ぐ二取引日以内に支払のため支払場所に呈示したことは当事者間に争いない。したがつて大安建設興業は控訴人に対し右手形金の支払義務がある。

二大安建設興業の法人格は否認すべく、被控訴人は右約束手形金の支払義務があるとの控訴人の主張について検討する。

大安建設興業の資本の額が六〇〇万円で、被控訴人がその代表取締役であることは当事者間に争いなく、右事実と<証拠>を総合すると、次の事実を認定することができる。

1  被控訴人は建築士(昭和四七年に一級建築士となる)で、昭和三三年中「大安」という名称で大工を営んでいた父西側重三郎とともに、大安建設という名称で建築業を営んでいたが、建築請負の入札については法人となる必要があつたので、昭和四六年資本の額三〇〇万円の大安建設興業を設立し、その代表取締役となり、知事から一般建設業の許可を受けた。本店所在地は従前同様被控訴人及び重三郎が居住する被控訴人の肩書住所地で、取締役は被控訴人のほか弟の西側重喜、重三郎の計三名で、監査役は被控訴人の妻文子と重喜の妻悦子の両名であつた。株式名義人は発起人となつた七名で、前記五名のほか被控訴人の姉婿山本明正、伯母奥野トヨノで、被控訴人と重喜が各二〇〇〇株(一株額面五〇〇円)、重三郎が四〇〇株であつた。その後昭和四八年資本の額は六〇〇万円となり被控訴人は五〇〇〇株、重喜が四〇〇〇株、重三郎が八〇〇株となつた。大安建設興業は昭和五一年一二月ごろ倒産状態となつた後昭和五二年三月重喜及び悦子がそれぞれ取締役監査役を辞任し、重三郎の妻で被控訴人の母親である西側マツエが監査役となつた(同人も株主となつた)。

2  大安建設興業は重三郎が昭和三年取得し、昭和三八年増改築された建物の一部に事務所等を設けたが、その敷地は重三郎が昭和三三年被控訴人名義で取得した宅地320.57平方メートルで、右土地建物にはいずれも大安建設興業の債務を担保するため根抵当権が設定された。しかし大安建設興業の資産としては機械装置・車輛運搬具が主たるものであつた。

3  大安建設興業は昭和四六年申請して知事から一般建設業の許可を受けてその名で入札をし建設工事を請負い営業してきた。被控訴人は大安建設興業の業務に専念し、重喜も大安建設興業設立後倒産状態に陥るまではその業務に専念し重三郎は年齢の関係から最初の一・二年大工の仕事をしたほか業務にほとんど関係しなかつた。常勤の従業員はなく、建設工事を請負うと被控訴人が設計等にあたり、下請工事に出しあるいは必要人員を集め、重喜が現場で監督にあたり、記帳は文子があたつていた。給料は被控訴人、重喜が各二〇万円を基本給とし、重三郎は七万円で、文子にもいくばくか支給された。

4  大安建設興業は前記許可申請後も、所定の許可申請事項に変更があつたときあるいは公共性のある建設工事の入札に参加するため経営事項の審査を受けるときには損益計算書等必要書類を添付して申請していた。その書類によれば年間の施行金額は昭和四九年度は一億四一〇〇万円、昭和五〇年度は九七〇〇万円、昭和五一年度は一億三八〇〇万円であつた。そして昭和五〇年度には経常損失金四九三万九一一三円を出し、一方交際費は金三三八万四〇三五円にのぼつていた。

しかし大安建設興業が株主総会、取締役会を開いていたという<証拠>は、<証拠>と対比するとき、にわかに信用することができない。

右認定事実によると、(1)大安建設興業は知事の許可を受け、社会的にも法人として活動し、(2)被控訴人ひとりの事業ではなく、被控訴人と重喜兄弟が共同して経営にあたつていたものであり、(3)被控訴人と重喜とは大安建設興業の役員として業務に専念し、個人的な業務を行うことなく、また個人財産と大安建設興業の財産とが混同されていたとは認められないから、大安建設興業の実質が全く被控訴人の個人企業で、その法人格が全く形がい化したものであるということはできない。大安建設興業が前示のとおり同族会社で、株主総会等法に規定する手続が行われていると認められない事実も、右判断を左右するに足るものではない(法人格否認の法理の適用が慎重になされるべきことにつき最高裁判所昭和四九年九月二六日判決、民集八巻六号一三〇九頁)。<以下、省略>

(村瀬泰三 林義雄 高田政彦)

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